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35年以上生きてきて感じたことを書いてみた

35年以上生きてきたので、これを機に感じたことを書いてみた。

※あくまでも自分の考えなので予めご了承ください。

人間関係

「自分らしく」生きようとすると必ず「批判される」。

「自分らしく」生きようとすると思わぬ人から「批判」されることがある。

しかし、結局「自分らしく」生きる先にしか自分の未来は無いし、勇気を持って歩き続けるしかない。

「自分らしく」生きることで「批判する」人は、その人自身が「自分らしく」生きてきていないからなのだと思う。

それが親の可能性もある。

「自分らしく」生きようとすると理解されなくなる

これがなかなか難しい問題だと思った。

今の日本の教育が「同調圧力」によって「自分を押し殺す」ような考え方なので、

「自分らしく」生きようとすると理解されなくなる。

「自分らしく」生きること自体は正しいのですが、その結果「学校教育」が合わなくなるので居心地が悪くなる(最悪不登校になる)とか、

「学校教育」に染まった人たちとは同じ感覚で付き合えなくなるというということを覚悟しておく必要があるのだと思います。

「親」や「先生」のアドバイスはあくまでも「自分の生き方」「生きてきた時代」「その環境の方針」を基準に考えている時代遅れの可能性がある

他人の意見を「全否定」するわけのはなく一旦は受け入れてみて、自分なりにネットで調べてみたりして答えを出してみるのが良い。

親だろうと教師だろうと、あくまで「一人の人間」。

その人はその人の「価値観や常識」で生きていると理解した上で、「自分らしく」生きる。

下手に歯向かうと「感情的」になり、自分自身が生きづらくなる原因にもなるので気を付けた方が無難。

他人との比較は無意味。比較するべきは昨日の自分。

ただし、これは頭では分かっていても心が難しかったりする。

頭で考えないようにしても、無意識に心が引っ張られる可能性があるから。

もし引っ張られると思ったら、そういう人とは意識しなくてもいいような距離を保つ必要がある。

「自分の体を何より大事にする」ことが「他人も大事にする」ということ

自分のことを一番考えてくれるのは自分しかいない。

「自分の体」をまずは第一に考えよう。

逆に言えば「自分の体や精神を傷つける」人からは距離を置いておくことが無難。

荒波を立てずに「自分の体を何より大事にする」生き方をした結果、批判されたり、去っていく人は縁が無かったと諦める。

自己犠牲をしない

「他人は自分のことしか考えてない」ので、「自分のために言ってくれてる」という勝手な解釈はしないこと。

それが仮に、親であっても、兄弟であっても、親友であっても。

思いやりを持つことは大事だけど、自分を犠牲にしてまで思いやりを持つ必要はない。

あくまでも「自分に余裕がある」時だけでいい。

こういう自己犠牲をしない選択をすることで「罪悪感」が生まれたり「批判」を受ける可能性があるけど、これに耐えることも「勇気」。

「罪悪感」を感じた時は、とっとと寝て忘れるのが良い。

「親だから・・・」「教師だから」「友達だから・・・」という言葉が脳裏によぎった先は全てハズレ

残念ながら、この言葉が脳裏によぎったら全てハズレ。

何故かというと、自分の心に反しているから。

その言葉に従うというのは「自分の考え」よりも「相手の考え」を優先することになる。

家庭だろうと、学校だろうと、人それぞれ考え方が違うので、そういうことが起きるだろうけど、
そのことは頭に入れておいた方がいい。

お金や時間、物について

孤独な時間や環境を大事にする

自分軸で生きることが何より大事だから

孤独な時間や環境は自分軸に必要

「いつか死ぬ」と理屈では分かっていても、「時間の有限」さを実感することは難しい

結局1日1日を情熱をもって生きていくしかない。

また「未来がどうなるか」も分からないので、何が「正解」か考えるよりも「今自分が意欲的に挑戦したいこと」に時間を費やした方が良い。

やることが無くても自分の考えや気持ちの「言語化」は毎日した方が良い

やることがないなら、言語化しながら考えることで面白い事が見えてくる可能性がある。

やることが無くても本やネットでの「インプット」と自分の考えや気持ちの「言語化」を繰り返すことでそれなりに楽しめる

「言語化」することで「自分の考えが見える形」になるので、そこからまた色んな考えが生まれやすい。

何かを選ぶということは何かを失うという意識を持つ

あることに「時間」を費やす間、それ以外のことに費やせる「時間」を失うことになる。

今費やしている「時間」が何においても優先するべきかを考える必要がある。

この感覚が無いと時間が経ったときに「どうでもいいこと」ばかりに時間を費やすことになってしまうから。

やりたいことや欲しい物を全て書き出して常に「全体像の把握、優先順位を決める」という事をしておかないと「感情」のままに物事を選ぶことになる

若い頃は「時間」がまだまだあるので、片っ端からやりたいことや欲しい物に手をつけても問題なかった。

だけど、ちょっとずつでも時間の使い方を学んでいかないと、感情のままに生きた結果「惰性の時間」や「成長のない時間」に多くの時間を割いてしまう可能性があるので、

何に時間やお金を費やすかを把握していくことが大事だと思った。

他人の誘いに「No」が言えないと、ちりつもで「時間」を無駄にしてしまう

「時間」って「物」や「お金」と違って「無駄」にしている感覚が薄い。

特に他人の誘いに「No」と言えないと「自分の時間」よりも「他人の時間」を優先することになってしまう。

厄介なのは、その時の時間だけでなく、今後の自分の人生の方向性にも影響が出てしまう可能性があること。

それが「趣味」だとか「人生観」だとか「価値観や常識」だとか、そういうことに染まっていく可能性がある。

良い面もあるし、悪い面もあると思うけど、「No」と言えないことで「自分の人生」を後回しにすることは出来る限り避けるべき。

毎日必ず寝ること

すごく当たり前のことのようで、当たり前じゃない事。

若い頃は、色んなことで夜更かしすることが多いから。

寝ることで「ストレス解消」になったり、「頭の整理」が出来る。

そして何より「冴えた頭で1日を過ごせる」ということ。

「ぼぉーっと」した頭で1日を過ごすことは非効率だし、時間効率が悪い。

過去を振り返った時に、「寝る時間がもったいない。」って感覚があったから夜更かししてしまっていた気がする。

寝るメリットを理解して「習慣化」するしかないと思う。

人生の選択

仮に「大きな目標」を達成できなくても「経験値」が溜まれば良いと考える

理屈では分かっていても、感情としては難しいと思う。

何故なら「何かを目指そうとする」と必ず「批判する」人が出てくるから。

その批判する人は親の可能性も高い。

「高い目標」を初めから持とうとすると気が重くなって全く行動に移せなくなってしまうので、

とりあえず「ちょっとでも経験出来ればいいや」ぐらいの気持ちで行動に移す。

初めに行動に移すのは大変だけど、すごく小さなことでもいいので行動してしまえば段々楽になる。

「スモールステップ」というやつ。

「自分が選んだ生き方」を正解にする

人生何が正解か分からない。

私自身ずっと悩んでいた。

ただ、この言葉を見て、考え方が変わった。

「自分が選んだ生き方を正解にする」という考えで行動するということ。

特に日本においては、意外と何とかなったりするので、思い切って「自分らしい」生き方を選んだ方がいいと思います。

もちろん「勇気」が必要だと思いますが。

「楽」や「他人から良いように見られる」選択ではなく「心から楽しめてる」生き方を選ぶ

解釈が難しいけど、「惰性」でやってるだけでなければ良いと思う。

「理不尽な世の中」だけど、他人を変えようとしたり、理解を求めようとしたり、依存しようとしない事

この世の中は「理不尽」だらけです。

だから、感情を振り回されることも多いです。

まるで「仲良くしていればいつか自分のことを助けてくれる」ように見える時もあるでしょう。

しかし、はっきり言えるのは「他人は自分にしか興味がありません」。

なので、「他人」をどうにかするよりも「自分」が変わること。

これを常に意識するべき。

他人を傷つけるとか不幸を望むことはダメだけど、自分が幸せになる選択は選んで良い。

残念ながら、その結果「嫉妬や妬み」をしてくる人がいる場合もあるので、出来ればそういうことで感情が振り回されない内に行動に移すこと。

自分を幸せに出来るのは自分しかいない

他人と絡んでいると「仲良くしていればいつか自分のことを助けてくれる」ように見える時もある。

しかし、はっきり言えるのは「他人は自分にしか興味がありません」。

というか、そこに期待したところで裏切られても言い訳出来ません。

そして、「自分を幸せに出来るのは自分しかいません」。

「自分に依存する」生き方を心掛けた方が幸せになります。

わざわざこんなことを書くのは、世の中が「理不尽」であるということと、

学校教育によって「同調圧力」を押し付けられるからだと思います。

「みんなと仲良くしましょう」「みんなと足並みを揃えましょう」・・・・。

しかし、最終的に自分の人生を何とか出来るのは自分だけです。

自分に素直に生きることは大変

「自分に素直に生きる」。

言葉では簡単ですが、なかなか大変だなと思いました。

そこにはやっぱり「勇気」が必要だからです。

「心に違和感」を感じた時に「現状維持」から「変化しようとする勇気」を持つことが出来るか?

どんなに理不尽なことでも、「心の違和感に素直に従う勇気」を持つ必要があるので大変です。

「先延ばし癖」をつけないこと

個人的には「先延ばし」しようと思って「先延ばし」することは少ないと思ってます。

何かしら「先延ばし」してしまう心理が働いてしまい、それがだんだん癖になってしまうというのが私個人の考えです。

自分の場合は「親の批判が怖い」から、だんだん何事も後回しにしてしまい「先延ばし癖」になったのかなと思ってます。

こういうのって、理屈で理解したところで難しい課題だと思います。。

とにかく思い立ったら「何でもいいから小さな変化を作る」。

そうすることで次のステップに進みやすくなると思ってます。

「心が嫌なことからは素直に逃げよう」

「心がどうしても嫌なこと」は素直に逃げた方が良いです。

心を壊してまで大事なことは無いからです。

世の中は「理不尽」なことが多いので、「逃げる」ことは「勇気」が必要ですが、「素直」になりましょう。

短期的に見れば悪いように見えますが、長期的に考えると「心に素直に従って良かった」となります。

傷ついた心は、時間が解決してくれるのを待ちましょう。

他人はあなたの心の中までは理解してくれません。

自分の心の状態が分かっているのは自分だけです。

なので、他人の目を気にするよりも、自分自身が自分の心に素直になることが大事です。

ぶっちゃけ、あなたの心がどんなに嫌な気持ちになっていても他人にとっては「あっそ」っていうレベルです。

なので、もっと素直になりましょう。

メンタルが弱い人は、弱い自分を素直に認め、出来る限り「孤独」な環境を選ぼう

私自身、メンタルがめちゃくちゃ弱いです。

悲しいくらいメンタルが弱いです。

そんな自分にとって大事なのは「孤独」にいられる環境だと思ってます。

人それぞれ心が違うので、他人の目を気にせずに自分の心に合った「環境」や「生き方」を選んだ方が良いです。

「生涯自分がやりたいこと」を見つけることに固執しない

正直、「生涯自分がやりたいこと」とか「一生飯を食っていけること」とかを考えること自体が無意味だと思いました。

それよりも、今自分が意欲的にやりたいことを大事にした方が良いです。

というのが、「自分が意欲的に挑戦したこと」は無駄にならないからです。

もちろん「惰性で続ける」とか「感動も成長も何も無いことを何も考えずに何となくやってる」とかそういうのだとあまり意味は無いと思うけど。

継続することに対して「何となく面白くないな」と何度も感じるようなら諦める

「努力を努力と思わないこと」が自分に向いていること。

どこで見たかは分かりませんが、色んな自己啓発本やネットで書かれています。

ただ、初めはそうであっても、だんだんスキルが上がってくると「苦痛」に感じ始める場合があるので、
そういう状態に何度もなるようなら諦めるようにしています。

とにかく色んなことに挑戦して、長時間やっていても「努力を努力と思わない」「飽きない」ことを
自分の人生において大切にするように心掛けています。

「他人の評価」よりも「自分が後悔しない生き方」の方が正しい

これも理屈としては分かっていても、難しいことです。

何故なら「学校」では「先生」に評価されることが正しいという風に教育を受けるからです。

しかし学校教育が終わると「自分が後悔しない生き方」の方が正しかったということを実感します。

今も「自分が後悔しない生き方」を大事にしながら生きるように心掛けています。

実際に「行動」しないと見えないことがある

自分がどこで「飽きる」のか。

どのくらいの時間でどのくらい成長できるのか。

面白そうと思っていたけど、実際にやってみると面白くなかった。

・・・など。

「行動」に移さないと見えないことがあります。

行動することで、自分なりの物差しが出来るので、少しでも興味があることは行動に移すようにしています。

心に違和感を感じたら、逆らわずに「素直」に従う。

心の弱さは誰でも持っている。

「心」の違和感に気付いているのは自分だけなので、「ダサい」とか「カッコ悪い」とか考えずに、自分の心に素直に従う。

「心」の違和感に従った方が長期的には100%正しいから。

「不満」は改善しても「高望み」はしない

今自分が「不満」に感じていることを改善していくことを優先する。

「不満」を感じてもいないことに時間やお金を割いても、「価値」が低く結果的に「時間」や「お金」の無駄だったという事が多い。

特に「人間関係」が発生するようなことだと、後々「時間」や「お金」において思わぬ大きな損失が生まれる可能性があるので気を付けています。

また、下手に何でも「物」を持ってしまうと、「お金」や「時間」、「エネルギー」が奪われてしまう可能性がある。

なので出来れば「必要性を感じる」とか「不満」を強く感じた時に「物」を持つのが理想的だと個人的には思ってます。

必ず「人生の選択」における最終的な決断は自己責任の上、自分で決める

「自分の人生の答え」は「自分の心」にしか無い。

他人にいくら聞いたところで「参考」にはなっても、自分自身の人生の「答え」は相手の心には無い。

親であろうが誰であろうが「他人は自分の人生には興味が無いです」。

「自分以上に自分の人生を考えてくれる人」はこの世にいません。

そういう気持ちを持って「人生の選択」をするように気を付けてます。

最期に

人生はめちゃくちゃ短いとは思わないのですが、

悪習慣や自分に合わない環境で生きれば、あっという間に無駄に時間が過ぎたりするので気を付ける必要があると思いました。

また、何も考えずに人や環境を選ぶことで「劣等感を植え付けられる」とか「感情的な人間」に出会うこともあるので、人や環境選びは重要です。

今の時代であれば、むしろ「孤独に努力、孤独に稼ぐ」生き方を目指す方が理想的だと思います。

私が35年以上生き続けて感じることは、

「一回コケると、立て直すのがなかなか大変」ってことです。

コケると心が「擦れてしまう」ので、「素直」な選択がしづらくなるというのもあります。

この記事を書きながら、「あれやっとけば良かったなぁ」とか言ったりしてるのですが、

昔に戻りたいと思わないとはそこまで思いません。

結局昔に戻ったところで「未来はどうなるか分からない」からです。

分からないなりに自分らしく生きてきたので、「まぁ、そんなもんかな」って感じです。

これから先も「未来がはっきりと分からない」中で生きていくと思いますが、

一日一日を情熱を持って生きていきたいなぁと思っています。

当記事が人生を送る人たちの参考になれば幸いです。

閲覧ありがとうございました。

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