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「物」や「お金」は大事にするのに「時間」は意外と漫然と費やしてしまう理由を考えてみた

ふと、思ったことがある。

それは「物」や「お金」は結構執着したり、大事にするのに、 「時間」に対しては意外と漫然と費やしてしまうということだ。

要は「お金」や「物」は「何にお金を使おうかな?」とか「どんな物が欲しいかな?」ということを割と真剣に考えるけど、

「時間」に関しては「何に時間を使うべきか?」ということをあまり深く考えずに「感情のままに流される」生き方をしてしまうということだ。

当記事では、そのことに対して自分なりの見解を考えてみた。

「時間」を意外と漫然と費やしてしまう理由

「時間」は自分が「死ぬ」時が終わりだから。

「お金」や「物」は「壊れたり」「減ったりする」ことで「無くなる」という実感を意外と早い段階で感じることが出来る。

もちろん「物持ちが良い」人は数年間、数十年間持ち続ける「物」もあるかもしれないけど、

その過程で「壊れる」とか「紛失する」という可能性もあるので、「大事にする」という意識が強くなる。

「お金」に関しても、使い続ければ「一文無し」になる可能性があるし、

そもそも「食っていけない」という不安があるので、「シビア」に使う面があると思う。

しかし「時間」に関しては、「いつかは死ぬだろう」と分かっているけど、 「事故でも起こらない限り、すぐには寿命は来ないだろう」というどこか安易な部分がある気がする。

だから、「今日一日を多少適当に過ごしても、明日があるからいいや」って浪費してしまうのだと思う。

1日単位の「成長」が小さいから

もう一つの理由として考えられるのは、1日の「成長」は意外と小さいということ。

もちろん、「学校」だとか「会社」という場所では、「テストの点数」や「他人の評価」という形で その日その日を意識して生きているから多少なりとも「成長」を実感するのかもしれない。

とはいえ、「学業」や「仕事」とは別にプライベートでやっている「趣味」や「ビジネス」などであれば ある程度長期的に考えておかないと「成果」を実感できないので、継続が難しいかもしれない。

長期的な目標ほど「1日1日の成長の小ささ」を理解して継続する意識を持たないとすぐに諦めて、「快楽」を得られるゲームなどの娯楽に流されてしまう。

1日の「成長」が小さいというのも、「明日やろうが、明後日やろうが遅くない」と考えてしまい、「時間」を漫然と費やしてしまうのだと思う。

日本においては「お金を手に入れる」努力をしている限りは何となく生きられるから

日本という国では、何だかんだ「バイト」や「就職」でお金が手に入る。

だから、「死なない程度に努力する=何となくでも生きられる」という気がする。

もちろん、「ブラック企業」などで「過労死」の道を知らず知らずの内に歩かされている人もいると思うので、 お金を稼ぐ行動を何でもやってれば大丈夫・・・とも言えないかもしれないけど。

明確な「目標」を持たなくてもそれなりに生きられるという感覚になると「時間」を漫然と費やし始めてしまうのだと思う。

「学校教育」を受けていれば「とりあえずどこかに就職出来る」という思考停止な考えが原因

「学校教育」に何となく流されてしまうということもあるのだと思う。

「学校教育」をとりあえず受けていれば「どこかに就職できる」。

その結果、「学校教育」以外の努力はしてこなかった。「遊ぶ」ことはそれなりにやったけど。

だから「就職」以外の生き方が考えられない。思いつかない。

でもお金は手に入るんだし、これからもそうやって生きよう。

「学校教育」をしっかり受けて就職すれば何とかなるという思い込みもまた、

「時間」を漫然と費やしてしまう原因なのだと思う。

そんな私自身も、その考え方は大なり小なりあった。

ただ、「就職」以外の選択が思いつかなかったということも大きな理由だった。

私自身の「時間」を大事に利用する考え方

あくまでも私自身が有意義な時間を送るために普段意識していることです。

その点を予めご了承ください。

※ここから敬語に変わることに特に意味はありません。

「日記」をつける

私が時間を価値を感じられるようになった一つの方法は、毎日「日記」を付けることでした。

この日記を書く一番の価値は「その日の自分の考えや感情を吐き出す」ことにあると思ってます。

この「日記」を長期的に継続すると「考えて人生の選択をする」ということが習慣化されます。

短期間だと「ただの備忘録」のような価値しか感じないかもしれませんが、長期的に継続することで 大きな恩恵が得られるので興味のある方は是非始めてみてください。

下に関連記事もありますので、是非ご覧ください。

孤独な時間を大事にする

「孤独」な時は自分に「素直」に生きることが出来ます。

もちろん、実家であれば兄弟や両親がいると思います。

もし可能であれば、兄弟や両親がいない環境を作ることをおすすめします。

兄弟や両親は身内なので赤の他人では無いかもしれませんが、「孤独」と「身内と一緒にいる」とでは気持ちの面で全く違うからです。

また上の項目にも書きましたが「日記」を書くときは「もう一人の自分と対話」が出来ます。

ただ、そのためには「孤独」な環境じゃないと難しいと思います。

人目を気にしたら「素直な感情を出しづらくなる」からです。

「やりたいこと」や「欲しい物」を全て書き出して優先順位をつける

頭の中だけで全て考えてしまうと「自分の考えの全体像」を把握できないので「物事に対する優先順位」が分かりません。

なので、「どっちでもいいけど楽しそうな事、やってみたい事」を優先してしまい、時間を浪費してしまいます。

はっきり言って世の中には「どっちでもいいけど楽しそうな事、やってみたい事」が溢れかえってます。

一つ「どっちでもいいけど楽しい事、やりたい事」が落ち着けば、また新たな「どっちでもいいけど楽しそうな事、やってみたい事」が どんどん目に入って永遠にループし続けます。

そして、本当に大事な事に時間を割くことを後回しにし続けることになり、いつの間にか数年経っていたということも普通にありえます。

下に関連記事もありますので、是非ご覧ください。

未来のことを考えずに「今一番意欲があること」に集中する。

未来には何の保証もない。

そして、今自分がやってることが将来絶対役に立つ保証もないし、大きな結果になるとも限らない。

こんなことを偉そうに書いている私自身「そこまで興味が無いのに、将来役に立つかもしれない保守的で無難な道」を歩こうとしていた過去があります。

大して目指してる高校もないのに「塾」に行くとか、

あまり強い興味も無かったのに、出来たらすごそうという理由だけで「ピアノ教室」に行ったりとか・・・。

そんな私が今言えるのは「今自分が意欲的に挑戦していること」は少なからず「人生における充実感」を得られるということです。

この「充実感」を得られることは、将来的に役に立つかは分からないけど、「後悔」は少なくともしないということです。

とはいえ「ただ惰性でゲームをやってる」とか、 「ストレス解消のためだけにゲームをやる」とかだとあまり意味が無いです。

それは「意欲的」というよりも「快楽」のためにやっているだけだから。

「快楽」はその瞬間は楽しいかもしれないけど、長い目で見たときには「何も残らない」可能性が高いです。

「ゲーム」自体が悪いわけでなく、「何も考えず楽しいからやってる」ということが問題なのです。

以前の私がそうだったのですが、一度「惰性」でゲームをプレイし始めると、そこまでやりたい気持ちが強くない「ゲームタイトル」にも手を出し始めてしまうので今は極力気を付けてます^^;

そんな私も今は「自分が今一番意欲的にやりたいことは何だろう?」という事を考え、一つに絞って挑戦し、飽きるまで徹底的に「一点集中」でやってみるということを実践しています。

「物」を減らす

若い頃は「物」に対する執着心もあるので、色んな「物」が欲しくなったり、一度手に入れた「物」を 「いつか使うかも」と考えて捨てられないため部屋が「物」で溢れてしまっていました。

そしてストレスが原因で物をたくさん所有してしまうこともありました。

人には「執着心」があるため、一度手に入れた「物」はよほど「不要」と判断できる物で無ければすんなり捨てることが出来ません。

そして皮肉にも、そういう溜めこんだ物を捨てるときは「所持することに苦痛を感じた」時だったりします。

こうやって偉そうに記事を書いている私ですが実際に「物」を捨てることは想像以上に大変だと思ってます^^;

過去の自分を振り返って感じることとしては「物を溜め込む」原因は「ゲームをだらだらやる」とか、

「エロ動画をだらだら視聴する」などの「惰性の時間」が悪習慣になっていることだと思っています。

そういう悪習慣を断ち切って、もっと有意義な時間を過ごしたいという「決断」が出来ない限りは、

なかなか「物」を減らそうという気持ちにならないんじゃないかなと思う自分もいます・・・。

「習慣」や「考え方」を変えない限りはなかなか難しいとは思うのですが、「物」を減らすことで

「本当に自分自身が費やしたい時間や関心が強い物」が明確になるので、是非やってみてください。

稼ぐことを考える

人生を送る多くの人にとって重要なのは「生きるために稼ぐ必要がある」ということです。

そして「稼ぐ」ことが出来れば、「人生の選択」に対する余裕も出来ます。

今の時代インターネットを利用すれば、色んな形で「稼ぐ」手段があります。

私自身も「稼ぐ」ための「時間」を意識することで、色んなことに「挑戦」してきました。

「稼ぐ」ための「時間」を費やすということも、「有意義」な時間になると思うので、是非興味のある方はやってみてください。

最期に

「物」や「お金」は大事にするのに「時間」は意外と漫然と費やしてしまう理由について書かせていただきました。

私自身、学生の頃や20代の頃は何となく漫然とした時間を送っていました。

その大きな原因は「1日単位で明確な目標を持たなかった」ことが大きいのかなと思っています。

もちろん、「1日の成長が小さい」が故に「明日やればいいか~」とかいうマインド自体にも問題があったと思います。

そんな今は「今日はこれやろう」とか「今日はこれをやった」ということを 意識的にやっているので、少なくとも「何も考えずに生きている」という意識は減ったと思ってます。

当記事を読んで、あなたの「時間」に対する価値観に少しでも影響が出たら幸いです。

閲覧ありがとうございました。

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