私は最近「日記」をやりながら何でも言語化するということを意識しています。
「日記」は「1日1日考えて生きた」ということが形として残るということが大きなメリットだと思っています。
「やってもやらなくてもそこまで大きな違いは無いだろう・・・」
私も以前は「日記」を書かなくてもそんな風に思っていました。
そんな「言語化」について、これまで5年以上「日記」で「言語化」してきた私なりの考察をしていきたいと思います。
「言語化」とは?
当記事の「言語化」とは、紙のノートや、パソコンの表計算ソフトなどに「文字として書き出す」ことを言います。
普段の自分の考えや、行動を文字として書き出すことで「見える形」に出来るので、自分の考えを理解しやすく出来ます。
私が普段「言語化」のために利用しているツールは「Libre Office Calc」という無料の表計算ソフトです。(基本的に自宅で作業しているので、PC用のツールのみ。)

何故表計算ソフトなのかというと「セルで日付などを書き分けられる」ため「時系列」で書きやすいというのと、
セルごとに「ジャンル」分け出来るので書く内容を「分別」しやすいというメリットがあるからです。
「言語化」のメリット
どんなことでも「考えた」という形跡が残る
人というのは「成長を実感」出来なければ、なかなか継続が出来ない生き物なんじゃないかな?と私は思ってます。
特に「長期的」に続けないと実感できないのであればなおさらでしょう。
私の場合ですが
・「毎日やったこと」を「日記」に書くことで1カ月の変化を実感できる
・「自分の気持ちを全て書き出す」ことでその日その日を真剣に生きたと実感できる
・「読書」などをした後に、自分が感じた素直な感情を書き出すことで「心を磨くこと」を実感できる
などなど・・・。
一言で言えば「考えながら行動する」という成長を実感するために「言語化」を習慣化しています。
また、長期的に継続すると「考えながら人生の選択をする」ということを習慣化出来るメリットがあります。
「日記」をつけることで「考えながら毎日を過ごせる」
「日記」というと「思い出」のためみたいな印象が始める前の私にはありました。
しかし、私にとっての「日記」の使い方は、とにかく「その日のことをぶっちゃける」ために利用しています。
要は「思い出」ではなく「毎日考えて生きている」ということを自覚するために利用してる感じです。
欲望のままに走らずに「全体像」を把握しながら行動できる
頭の中だけで考えるのには限界があります。
今自分が「やりたいこと」「欲しい物」「不満に感じてる事」などなど、人は普段から色んなことを考えて生きていると思います。
そんな考えを全て「頭」の中だけで考えるのは非効率過ぎるのです。
なので、何でも「言語化」することで「見える形」にして冷静に物事を考えられるように意識しています。
「自分の感情を吐き出す」ことで「ストレス解消」になる。
自分の感情を言語化することは「ストレス解消」効果があります。
自分自身が何故「不満」を感じているのか自覚することが出来るからです。
「自分はこういうことで『ストレス』が溜まるのか~」ということを理解し、今後の対策をすることも出来ます。
「言語化」をすることを安易に考えてしまう理由
「頭だけで考える」ということを過大評価しすぎている
「言語化」するのがめんどくさいとか、「頭」だけで考えてもそれなりに何とかなる。
今まで私自身がそうしてこなかったのは、そういうのが大きいのかなと思ってます。
後は、何でも「言語化」して考えましょうということを誰かに教わらないからということもあるのかもしれません。
ちょっとしたことを「頭」で処理するだけなら問題ないかもしれませんが、「多くの内容を同時に比較したりしながら思考する」というのには不向きだと思います。
「頭」で考えることと、「言語化」して考えることを上手く使い分けることが大事なのかなと思います。
自分のことなのだから「言語化」しなくても把握できるという勘違い
「自分自身の考えは言語化しなくても把握できる」という勘違いが大きいのではないかと思います。
というか、過去の私自身がそんな勘違いをしていました。
しかし、頭だけで考える「自分のこと」というのは「表面上のほんの一部分」だけです。
実際に「欲しい物」とか「やりたいこと」を全て言語化してみれば、その全てを頭で常に考えることが難しいと分かると思います。
こんなことを「言語化」するのがおすすめ
「記憶」するためではなく「自分の素直な感情」を吐き出すために言語化する
私は「読書」をする際に、この「言語化」を行います。
なぜ「記憶」をするための「言語化」じゃだめかというと、「記憶」は一日経てば大半を忘れてしまうからです。
なので、「どう感じたか?」を言語化した方が、その本を読んだ事に対する「価値」が残ると思っています。
「なんか難しかったから、もっと簡単な本から読んだ方が良いかな」とか、
「自分には興味が無かった。なんでだろうと考えてみたけど、〇〇だからなのだと思う。」とか。
何でもいいので、「その読書から感じ取った素直な感情」をぶっちゃけてしまうことです。
ただ「本の内容をコピペする」だけよりも、「自分の感じたことをぶっちゃける」ということをセットに書いてしまった方が、その本から得られるものが大きいと思ってます。
「本の内容」は忘れてしまえばそれでおしまいですが、
「自分自身の素直な感情」を言語化する行為は「自分の心を磨く」という生涯役に立つ形として見えない形で残り続けます。
「欲しい物」「やりたいこと」を全て言語化する
こういうことを書くと「自分のことなんて言語化しなくても理解できてるよ」という人がいるかもしれません。
私自身もその一人でした。
とはいえ、現在は「言語化」しないとデメリットしかないと思っています。
その理由としては
・「優先順位」を判断できないので「欲望」のままに走ってしまう
・「頭の中」だけで把握するには限界がある
・「頭の中」にある状態のままだと、それにリソースを奪われてしまうので無駄が多い
この3つです。
・「優先順位」を判断できないので「欲望」のままに走ってしまう
というのは、要は「目の前のやりたいことや欲しいものに感情のままに飛びついてしまう」生き方になるってことです。
その原因は「全体像」の把握が頭の中だけでは難しいからです。
仮に欲しいものが「20個」、やりたいことが「20個」あるとして、それを全て頭の中だけで把握し続けるということ自体無理があると思います。
そしてその中には「めちゃくちゃやりたいこと」もあれば、「どっちでもいいけど暇ならやりたい」ぐらいのものもあるでしょう。
そういうことを全て頭の中だけで管理できるか?と言われたら、私は出来る自信がありません。
なので、全て「吐き出し」て、「優先順位」を考えるために言語化します。
このことによって「自分にとってこれはどうしても欲しい、やりたい」ということを把握した上で行動を取ることが出来るようになります。
・「頭の中」だけで把握するには限界がある
これは上記の内容とかぶるので割愛します。
・「頭の中」にある状態のままだと、それにリソースを奪われてしまうので無駄が多い
これに関しては、頭の中でいつもいつも「あれ欲しいなぁ」とか「あれやりたいんだよなぁ」ってことを考え続けるだけで、頭が疲れるし、他のことを考える余裕も無くなるからです。
以前の私は「ひねくれていた」ため、「そうやって考えてる自分が楽しいからいいんだよ」なんてことを考えていました。
実際に書き出すことで「頭で考える必要がなくなる」ので「頭で悩む」という時間が全く無くなります。
ほんの少しの時間で「全てを把握できる」上に「気持ちもスッキリする」ので、是非やってみてください。
「購入履歴」を書く
購入した際に購入履歴を残しておきます。
記載する内容は、
・購入した日付(年月日)
・購入した物
・購入した場所
・金額(商品ごとの金額と合計金額)
・「どういう理由で購入したか?」「どういう気持ちで購入したか?」
以上です。
これをやる目的は、「購入した物」の把握だけではありません。
「どういう理由で購入したか?」「どういう気持ちで購入したか?」など、「今後考えて買うという癖」を身につけることが目的です。
人は「感情」で購入を考えるので、
「少しでも安ければ買う!」とか
「ちょっとでも魅力を感じてしまったら買う!」とか、
衝動買いに近い買い物をしてしまう場合があります。
そんな時にしっかり「考えて購入する」という癖を身につけるために、「購入」するたびにその時の気持ちを言語化してしまうのです。
私自身、この習慣によって「こういう理由で必要だから購入しよう」という考えて購入するようになりました。
「今日やりたいこと」「今日やったことや反省」を書く
「やらないといけないこと」だけではなく「自主的にやりたいこと」も書いてます。
学生なら学業のこと、社会人なら仕事のことなど「やらないといけないこと」も書いてもいいのですが、
それだけだと何となく「受け身」な生き方になってしまうからですね。
「自主的にやりたいこと」の方が「自分の成長のためにやる」という意識が強いので、私はそれを優先的に書くようにしてます。
そして、その日の終わりには「今日やったことや反省」を書きます。
こういう日々の積み重ねによって、毎日「考えて」生きるということが出来るようになります。
日常における自分の素直な感情を全て「書き出す」
その日その時思ったことを素直に「書く」というのもおすすめです。
「ストレス解消」効果もあるし、「もう一人との対話によって心が磨かれる」効果にもなります。
何でも「思ったこと」を書くことで、一日一日を「考えて生きている」ということを実感できます。
私自身、この「自分の素直な感情」というのは、基本的に後から見返したりはしません。
あくまでも「吐き出す」こと自体に意味があるからです。
最期に
私自身、自分の考えなどを「言語化」することを継続することで、毎日が充実するようになりました。
以前の私は「言語化」しなくても何となく毎日生きられる。そう思っていました。
しかし、人間の脳みそというのは案外いい加減なものです。
自分の脳みそなのだから、全て自分でコントロールできるでしょ?という程都合良く出来てはいません。
少しでも「欲しい」と思えば「欲望」のままに手に入れようとしまう可能性があるし、
「楽な生き方」に慣れてしまえば、どんどん「楽な生き方」に流されてしまう生き物です。
「言語化」しない人生というのは、言ってしまえば「何も考えず、感情のままに漫然と生きている状態」なのです。
そしてその人生の先には「自分がやってきたことの大半はあまり役に立たなかったなぁ」という未来が待っています。
当記事を読むことによって「言語化」することによるメリットを実感出来れば幸いです。
閲覧ありがとうございました。